南北朝についての日記?

ノー南北朝、ノーライフ。南北朝を愛してやまないド素人の恥かきブログです。

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花園・光厳両院についても 岩佐美代子著『宮廷に生きる 天皇と 女房と』

久々の読書感想です。
岩佐美代子『宮廷に生きる 天皇と 女房と』。いやもう、この本、すごいですよ。いい本とめぐり合えたと感動しました。

出版社の笠間書院のサイトから、内容と目次をお借りしました↓

中古・中世、宮廷を中心に華やかに栄えた文壇の重要な担い手としての「女房」。女房に共通の気質-女房かたぎとはどのようなものであったか。女房的な「お宮仕え」を幼時から体験した著者による中古・中世女流文学の魅力溢れる講演集。

目次…
女房の眼―私のお宮仕え―
『花園院宸記』―天皇の日常と思索―
光厳天皇―その人と歌―
女房の日記―表現の「真実」を求めて―
『とはずがたり』の衣裳―その言わずして語るもの―
『蜻蛉日記』の衣裳―「我が染めたるとも言はじ」―


(残念ながら、現在品切れ・重版未定です)


実は内容をよく知らず、『とはずがたり』について書かれてあるということだけを知ってネットの古本屋で買った本だったのだが、目次を見たときに花園院と光厳院についての項目があってびっくり! 望外の喜びとはこのことかと思いました。

国文学者の岩佐美代子氏については、ご存知の方も多いとは思います。私も少しだけ知っていました。戦前、昭和天皇の第一皇女・照宮成子内親王の学友兼女房として仕えた人で、京極派和歌と歌人の研究者でもいらっしゃいます。

この本は、宮仕えの経験と、岩佐氏個人の資質から、中古・中世の日記文学と花園・光厳両院を豊かに語った講演集です。
岩佐氏の資質とは、この本を読む限りだけど、あたたかな目線と、着眼点の鋭敏さ、という感じかな。
着眼点の鋭敏さについては特に、やはり女性ならではということも関係しているように思う(男性と女性とでは脳の仕組みが違うので←女性の方が鋭敏という意味ではありません)。
それでも岩佐氏の個性は女性とか男性とかを超えていると思います。


さて、感想を書こうと思いますが、南北朝ブログなので、花園院と光厳院の項目だけにしますね。(『とはずがたり』他についても書きたいのはやまやまなんですが 笑)


『花園院宸記』―天皇の日常と思索―

花園院が書いた日記『花園院宸記』から見えてくる、花園院という人の実像を語っています。
花園院は、岩佐氏が大好きな人だそうである。
従来の花園院評…「賢哲の英主」とか、帝王とか、非常に立派な人物である等と言われているが、「はじめからそういうレッテルで予断を下さないで」(P60)『花園院宸記』をみてほしい、と訴えておられます。
私も、花園院といえば立派で、自分に厳しい、どころか厳しすぎる人、というイメージしかなかった。そういう先入観で宸記を読んだら、そうとしか見えなくなるかもしれない。そしてその花園院評はまた事実なのである。岩佐氏自身も「賢哲の英主」等の評を全く同感と仰っています。
これはなんにでも言えますよね。気が引き締まりました。

で、岩佐氏のみる花園院とはどういった人物なのか。
これはぜひ本書を読んでいただきたいと思いますが、岩佐氏の視点の例として、『花園院宸記』の中でも有名な、隠居をして学問に精進したい、という意思を表明した件りについて述べている部分を挙げると、岩佐氏は花園院の23歳という年齢を考慮し、青年の隠居願望(厨二病みたいなものと考えたらいいのかな)としています。

また、以下に引用した部分を見ると、花園院を立派な天皇だったというだけじゃなく、一人の人間として母のようにあたたかく見つめているという感じがわかると思います。

※ネタバレ?になるかと思うので、読みたくない方は色つきの部分を飛ばしてくださいね。

(この前の部分は元亨元年(元応3年・1321年)4月25日、25歳の時の日記の部分の解説です。この日亀山院の皇子・恒明親王が遊びに来て、後伏見院・花園院と3人(と供奉の公家とか)で下鴨神社へ時鳥を聴きに行ったという項)

夜が明けましたので牛車を飛ばして帰って来た。「帰路飛牛に懸けらる、中書王の車なり、仍って此くの如し」。
恒明親王は天皇にはならなかったけれど、亀山院から沢山所領をいただいて御裕福ですので、牛も大変良いのをお持ちでした。それで大いにスピード感を楽しんで帰っていらしたというわけです。さきに申しました、隠居したい隠居したいなんて記事を読んでいますと、身につまされてこっちが溜息をつきたくなるのでございますが、「今夜の遊覧誠に興有り、但し郭公遂に鳴かず、尤も遺恨とする所なり」。こういう記事が出て来ますと本当にホッと致します。

『花園院宸記』というのは、申し上げましたように最高の知識人で、しかも英明恭謙な天皇の日記だということで、従来歴史家の方、思想家の方の間であんまり賞賛されすぎていたような気が致します。そういう一面、勿論否定は致しませんけれども、虚心に宸記をずうっと通読致しますと、こういう青年の隠居願望とか、またそれがとけて来ると、たまにはスピード感を楽しむような遊びもするとか、いろんな面が出て参ります。私はそこにこそこの宸記の、ひいては花園院という方の本当の魅力があると考えます。

宸記の執筆の年齢を見ていただきたいのでございますけれど、少くとも第一部・第二部(注)は、十代から二十代の青年の揺れ動く魂の記録でございます。皇統を子孫に伝えることもできない、政治の権力もなんにもない形だけの天皇なり上皇なりとして運命づけられました、聡明で道義感の強い、神経質な一青年の日記としてこれを読みます時に、本当に私、後から肩をたたいて、「まあ、そんなにかたくお考えなさんな」と―、「もう少し気を楽にしたらいいじゃありませんか、世の中いろんな事があるんだから」と、心からそう言ってあげたいようないとおしさを感じます。天皇の日記だからとか、漢文で書いてあるからとか、そういう先入観を捨てて、虚心にこの日記を読んでいただきたいと、本当に私そう思うのでございます。
(P53)

(注:便宜上の分類で、第一部は延慶3年から文保2年(14歳~22歳)まで、第二部は文保3年から正中2年まで(23歳~29歳)。
また、適宜改行を入れました)


極意(の一つ)は、まさしく、「行間を読む」これですね。宸記に限らず、当時の日記は漢文で、儀式の次第等の記述がほとんどだし、先入観を持って読んでいたら大切なことを読み落としてしまいます。
…そんなことが私などに出来るかわかりませんが、宸記や日記だけでなく、歴史の勉強をするときには心掛けたいと思いました。



光厳天皇―その人と歌―

わずか35ページで、激動の人生を歩んだ光厳院の一生の深奥を垣間見てしまったような、そして光厳院の行年52年を旅してきたような…すばらしい密度と洞察により、畏れ多い気持ちにさえなりました。
こちらも、光厳院への愛にあふれた名文(名講義)です。

前半部分は光厳院の生涯の説明となりますが、通り一遍のものではなく、これだけでも読む価値あり。

後半は京極派歌人でもあった光厳院の和歌について語られています。和歌から光厳院の内面が推し量られていて、岩佐氏の真骨頂が遺憾なく発揮された部分だと思われる。
何首か挙げられていますが、和歌について全く疎い私が目を引きつけられた「ともしび」の連作というものを、ぜひここにご紹介したいと思います。

さ夜ふくる窓の灯つくづくとかげもしづけし我もしづけし

心とてよもにうつるよ何ぞこれただ此のむかふともしびのかげ

むかひなす心に物やあはれなるあはれにもあらじ灯のかげ

ふくる夜の灯のかげをおのづから物のあはれにむかひなしぬる

過ぎにし世いまゆくさきと思ひうつる心よいづらともしびのもと

ともしびに我もむかはず灯もわれにむかはずおのがまにまに



和歌に疎いせいだと思うが、古今調のオーソドックスな和歌以外は感覚的にもよくわからない(それだってちっとも理解できないんですが)という感じだったのが、この光厳院の和歌を知って、初めて京極派の良さがわかったような気がしています。
(ちょっと、現代的な感覚というのでしょうか…?)

しかし、晩年の光厳院の和歌がほとんど残っていないのだそうで、それについて岩佐氏はこう述べておられる。

考えますのに、おそらく人間として、また帝王として、ここまで悲痛な体験をなさった時に、院の前に残されたのは、もう歌道ではなくて仏道ただ一筋であったろうと思われます。しかしながらそれは、今までの歌道が、院にとって何にも役に立たなかった、とか、歌に絶望した、とか、そういうことではなくて、(カオリ丸注:京極)為兼が主張いたしました、「心のままに言葉のにほひゆく」(為兼卿和歌抄)という言葉―自分の心をじっと見つめて、その心の真実の中から、自然に匂うように言葉が出てくる、それが本当の歌だ、という、その主張に沿って、長年心を見つめるという鍛錬をなさった結果として、自ら歌の無い境地にまで到達されたのであろうと思います。(P84)

たびたび、光厳院という天皇がいたこと、それを知ってほしいということが語られているのですが、ここを読んだ時に、私は岩佐氏のその思いをとても強く感じました。
私も同じです。歴代天皇表の中に、北朝天皇が入ることが悲願…。

最後は光厳院が開き修行した常照皇寺のことが語られます。
そして、岩佐氏の父・穂積重遠氏が今上陛下の東宮時代に東宮大夫として教育をしていたこととからめて光厳院を語った部分、また、今も院はお寺と村の人たちといつも一緒にいるという部分は、涙なくしては読めませんでした。


実際に手に取って読んでほしいなと思い、そのような感想文が書けたらよかったのですが、力がなく、少しでも良さをわかってもらいたいあまりに長ったらしく冗漫になってしまい、残念です…
花園院と光厳院のためにも、この本が埋もれていくのを惜しむ…そんな気持ちでいっぱいです。

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