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南北朝についての日記?

ノー南北朝、ノーライフ。南北朝を愛してやまないド素人の恥かきブログです。

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万里小路家と南朝

去年の11月、吉野へ行って南朝妙法殿に入らせていただきましたが、万里小路藤房が好きな私はそこに藤房のお位牌があるのに感動しました。
感極まったせいで、あまり覚えていないんですけど…

(南朝妙法殿のことは、よろしければ過去記事「濃密吉野&京都旅 吉野編(1日目)その2」をご覧くださいね)

その後、後醍醐天皇の法要があり、祭壇(?)には後醍醐さんの絵像が掲げられていました。

KIMG0958.jpg

旅行記には書かなかったんですが、この肖像画は昭和14年、後醍醐天皇の薨去後600年の記念に描かれたものだそうで、なんとほかに万里小路宣房と大塔宮護良親王が描かれた、と説明を受けました!

(閑院宮に仕えた倉光氏が製作したとのことです。吉野ビジターズビューロー専務の田中さんのお話でした)

後醍醐さんの肖像画の状態がとてもよかったので、宣房と大塔宮の肖像画も一緒にちゃんと残っていると想像されます。
どんなだったのか本当~に見たかったです。



さて。
万里小路宣房とその子藤房・季房兄弟は後醍醐天皇に仕え、鎌倉幕府倒幕に力を傾けたというのは皆さまもご存じのところですね。
だからこそ、南朝妙法殿にお位牌があったり肖像画が作られたりしたのでしょう。


でも良く考えてみたら、藤房は建武政府への(というか後醍醐天皇への)不満・憤懣で出奔してしまっているし、宣房は後醍醐天皇が吉野へ行った時も京にとどまっているとされているんですよね。(季房は倒幕を見ずに配所で殺害…

万里小路家は季房の子・仲房が後を継ぎ、その後ずっと北朝の貴族であり続けたんです。

(以前、「万里小路家のその後」という記事を書きました)


それなのに、宣房・藤房は南朝の(後醍醐天皇の)忠臣とされ続けています。

「南朝の(後醍醐天皇の)忠臣」の基準ってなんだろう と思いました。

倒幕に功があった、というのならわかります…それなのかな?
(この辺はあきらかに勉強不足ですね…


それかもしかしたら…


藤房の出奔は『太平記』にしか描かれてないということから全くの脚色だったのかもしれない。
宣房は高齢だったから吉野へ行くのは無理だった。あるいは史料がないだけで、実は吉野に行っていた。

…という妄想(笑)をしてみましたが、どうでしょうか。


どちらにしても、宣房・藤房父子の価値は変わらないですが

(そもそも私は南朝も北朝もどっちも大好きですので




今日は素朴な疑問(と妄想)をつぶやいてみました。

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カオリ丸

Author:カオリ丸
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