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南北朝についての日記?

ノー南北朝、ノーライフ。南北朝を愛してやまないド素人の恥かきブログです。

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濃密吉野&京都旅 京都編(3日目)その1

吉野&京都旅行記の続きです。

これまでの分はこちら↓
吉野編(1日目)その1その2
吉野編(2日目)その1その2



ではでは、吉野&京都旅行の最終日・京都編をお送りいたします。
基本的にスピード感をもって進めたい予定でいますが、役に立ちそうな情報は書いていきますね。

まず最初に、行ったところと内容をお伝えしましょうか。

京都国立博物館の国宝展で神護寺三像を観る!
六波羅探題外周めぐり!
東福寺&芬陀院で紅葉&一条経通さまを堪能!

これらをレンタサイクルでめぐりました。

元々、バスや電車・徒歩でめぐる予定だったのですが、履いて行こうと思ったスニーカーがなぜか足が痛くなるのに出発の4日前に気づき(新しいのじゃないのに)、急遽レンタサイクルに変更したのでした(要するに京都の町に慣れているわけでもなんでもない)。
でも結果的にこれは大正解でした

ホテルは京都タワー前(東側)の旅館街。そこから烏丸通の東本願寺を通り過ぎたあたりにあるレンタサイクルショップへ徒歩で向かいました。

京都 レンタサイクル『京都みやび屋』 ← こちらのお店。

レンタサイクル『京都みやび屋』
京都みやび屋さんのサイトよりお借りしました。

こちらは荷物を預かってくれます♪ また、わかりやすい地図をいただき、これから向かう場所や駐輪場の説明もしてくれて助かりました!
(サイトに京都駅徒歩5分とありますが、10~15分はかかると思います

地図 京博へ
↑実際に持っていった地図 

9:00ちょうどくらいに出発。
前もって京都国立博物館のツイッターなどで混雑状況を観察し、開場の30分以上前には並びたいなと思っていたのだけど、駐輪場に着いたのは9:15ごろでした(開場は9:30)。ホテルを出るのが遅くなっちゃったのと、想定よりも時間がかかったのが原因。
七条通は歩道がけっこう混んでいて、車道を走るとバスが多くて走りにくかったり、国立博物館に近づくと国宝展を見に行く人の混雑で走れないので下りて押して歩いたんです。しかも上り坂できつい あと、車道を主に走ったので信号に何度もつかまったのが盲点だった。

ちなみに、前調査に距離と時間が測れる↓こちらを使ってたんですが…。

距離測定:キョリ測(ベータ)

キョリ測では7分だったんですよね~。勉強になりました。

京都国立博物館の駐輪場は、駐車場出口あたりにあります。博物館入口のすぐ右といった感じ。駐車場入り口までわりと距離のある坂道を登っていってしまい、戻りました(出口の横っちょから入れます)

京都国立博物館
京都国立博物館。

すでにすごい行列。あらかじめ前売り券を買っていたのですぐ入って並びます。建物内でも行列は続き、やっと展示を観れたのは9:50~55くらいだったかな。

真っ先に2階の神護寺三像のコーナーへ!!
何度もブログ内で言っていますが、1993年に東京国立博物館で三像を見ているのですが(過去記事をご覧ください)、やはり「大きい!」とまず思いました。
並びは、左から直義・尊氏・義詮。
主に顔を中心に観察しました。

(いまさらですが、私は神護寺三像の像主を源頼朝・平重盛・藤原光能ではなく、それぞれ足利直義・足利尊氏・足利義詮とほぼ断定してみています)

まず尊氏から見る!

伝平重盛像(図録より)
必要ないかと思ったけど文字ばっかりなので。図録より、伝平重盛像。

かなり薄くなってしまっているのだけど、顔が直義像にそっくり!!! 直義のたれ目版と言ってもいいくらい。目も思っていたより切れ長で大きい。
鼻下の髭の形が直義と違う。口の横から長めに垂れ下がっている。顎髭も直義より薄い? 幅が狭く、薄いように見えた。
鮮明な印刷の肖像が本やネットで出回り、こんなこといくらでもわかるだろうに…不思議と実物を見てしっかりと気づくものなんですね(私だけか)。
そしてやっぱり「可愛い」という感じをおぼえた。もう、尊氏さんは、可愛いんだから! という感じ(笑)
(そしてこんな可愛い顔してやる時はどんなこともやっちゃうの…好き


次に直義。

伝源頼朝像(図録より)
伝源頼朝像。

本当に美しい肖像画だ。
清潔感が漂っている。本当に、高潔、孤高といった雰囲気。
20年前に感じたとおり、やはりオーラは感じた(かなり薄まっているのは、私の感性の低下か)。すごい、としか言いようがない。650年前がそこにあるという感じ。本当に不思議だ。他のものには感じない。尊氏のにも。どうしてこれだけに感じるんだろう?
海外では尊氏像の方が評価が高いというようなことを見聞きしたことがあるが、私は尊氏像よりこっちの直義の方が絵画として優れていると思う。(保存状態が違うから、一概には言えないと思うが)
ずっと見ていたいのは直義の方かも。
黒い冠に陰影がつけてあるのも、家に帰って手持ちの画像なんかを見てみるとそうなっているんだけど、今回初めて気づいた(なんでなのか…笑)


最後に義詮。

伝藤原光能像(図録より)
伝藤原光能像。

義詮はやっぱり数段落ちる。一回見ただけでもういいやとなった。
(義詮、本当にごめん…


神護寺三像まとめとしては、

・二人とも本当にいたんだなあ、とあらためて感動。
・そして、やっぱり実物はいい!!!!!!!!!!!
・二つとも非常に繊細!!! こんなにデリケートな雰囲気とは思わなかった。(以前見たときは感じなかったなあ)
・尊氏の前にガラスの継ぎ目があるのが残念だった。
・近年に修復が行なわれたのか、以前見たときよりくっきり鮮やかだった。(1993年のときは、尊氏の顔がよくわからないくらいぼやーっとしていた)

と義詮を無視した感想となってしまいました

また、何度も何度もしつこく三像を見に行きましたが、行く度に混雑が激しくなっていました。ここは他と比べて物凄く人だかりが激しかったです。
そして皆「大きい」とか「頼朝だ」と口々に言っていて、「これは実は足利直義でね、こっちは兄の尊氏…」などと言っていた人はいなかったですね(笑)


さて、同じ区画には金沢貞顕・実時像もありました。
今年開催された金沢文庫の「国宝 金沢文庫展」に行けなかったので、ここでお会いできてうれしかった!

国宝 金沢文庫展1
参考 金沢文庫の「国宝 金沢文庫展」チラシ画像

貞顕像は、本当に薄くなってしまっていて、尊氏像のよりよく顔がわからない。(というか、尊氏の方がずっとよくわかる)
初めにものすごいインパクトの神護寺三像を見てしまったせいか、正直印象が薄くなってしまったのは否めなかった…。
でも、ここに、鎌倉幕府の執権と連署を歴任し、金沢文庫の収書につとめ、最後は幕府の終焉とともに自害して果てた人の姿がある、と思うと、とても切なくなってきた。
肖像画はその時の一瞬を切り取ったものでもあり、また、その人の人生を俯瞰するものでもあるんだ…。
あと、実物より画像処理した印刷物等のほうがよく見えるというのも良し悪しだなとも思った。

貞顕さんのおじいさん、実時像は、あまりしげしげとは観察しなかった。南北朝から離れてしまうのもあり、この後の予定を考えると、あまりゆっくりもしていられないのもあり…。
こちらも結構薄いが、貞顕さんほどではない。
表情の力強さに比して全体的な筆致はやわらかで、逆にそれがバランスが取れておだやかな雰囲気の絵画となっている感じ。

貞将さんにもお会いしたかったぞー!!


国宝展には、後村上天皇行宮となった河内の金剛寺の仏像二体も展示されていました。
金剛寺は北朝の光厳・光明・崇光天皇たちが遷されたお寺でもありますね。光厳天皇は金剛寺を行宮とされていた時期に、出家しています…。
南北朝の作ではないですが、後村上天皇や光厳天皇たちが見ていた(拝んでいた)であろう仏像ということで、よく見てきました。
すごかったです!!! 大きくて、迫力があるの!!

金剛寺 大日如来
大日如来坐像。

金剛寺-不動明王
不動明王坐像。

この写真、同じものとは思えない…実物のスケール感と荘厳な感じが全く感じられないですね。
大きさは、大日如来の方は313.5㎝、不動明王の方は201.7㎝です。

こちらの展示は1階で、建物の構造的に2階から眺められるように一応なっていました(フィルムだかシャッターだかのようなものでくっきりとは見れないんですけど)。全体的に光量がおさえられていて暗い空間の中に、輝きをまとったかのように浮かぶ巨大仏像のシルエットは鳥肌が立つように幻想的で美しかった。
が、やはり対面した方がもっともっと段違いに素晴らしかったんです! これを見ることができてよかったと思いました!!


そのほか南北朝関連の展示がありましたが、感想は割愛します。
また、南北朝だけでなく、ひととおりの展示は見てきましたよ。国宝展、行ってよかったです

さて、散財コーナー(ミュージアムショップ)ではこんなものが売っていた!!!

神護寺二像御朱印帳-直義
神護寺二像御朱印帳-尊氏
神護寺二像御朱印帳
神護寺二像の御朱印帳(義詮…)。

買わないわけないじゃないですか~~~
これは使わない!(笑)

また、直義像の掛け軸がありました!! 155,000円。コロタイプ印刷だとのこと。直義ファンだったら買っていたと思う。かなり美しい印刷でしたよ。
ちなみに図録は通販で買いました。こんなに厚くて重いもの持ち歩いて観光なんてできないですので…。(厚みは3.3㎝ある)

お土産を買って駐輪場を出たのが12:15過ぎでした。その頃には入場待ちの行列は駐輪場の方まで伸びていて、係員が「2時間半待ち」と言っていました。行く直前までツイッターで行列情報を調べていましたが、それまでお昼頃は空いていたと思うので、早めに行って正解だったです。



さて、次の予定は「六波羅探題外周めぐり」。六波羅探題(跡)の四囲を自転車でめぐってきました。
これに何の意味があるのか、自分でもよくわからない(笑) でも、やってみたかったんですー!!
実際やってみて、何かに気づいたとかそういうことはなかったのですが、楽しかったです

六波羅探題は、鎌倉幕府が京都に置いたミニ版幕府。北方と南方に分かれていました。場所は↓のように推定されています。

六波羅探題の場所
京都観光ポータルサイト - e京都ねっと 北条時宗「京紀行」よりお借りしました)

これは有力な説の一つで明確には判明していないそう(大体このあたりというのは合っていますよ)。
私はこれを見てまず「かなり広いな~」と思いました。
『六波羅探題の研究』(森幸夫著/続群書類従完成会)という本も、こちらを採っています。

↓一方、こちらは別の説に基づいた(であろう)地図。

小学館新編日本古典文学全集『太平記』④より六波羅探題の場所
小学館新編日本古典文学全集『太平記』④より

赤でアンダーラインを引いたところが六波羅探題。
こちらの南北の筋をまたいで東にまるごと移動させたのが一番有力とされている場所(初めのほうの地図)ですね。
…どういうわけだか知らないが、下の方の画像の、有力じゃない説の方が不思議と私の感覚にしっくりくるのですが(根拠がなく当てにならない感覚)、不案内でもわかりやすそうなためとりあえず今回は最有力説の方を行ってきました。

地図 六波羅探題四囲めぐり
実際に持っていった地図。

地図の中の①が京都国立博物館の駐輪場。実際のスタート地点は六波羅探題南方の最南端(東南端)、③です。
③にたどり着く前に、かの有名な妙法院が右手にありました。

妙法院
妙法院。

佐々木導誉が焼き討ちしたという、南北朝婆沙羅エピソードの中でも有名なお話がありますね。
ただし、当時の妙法院はもっと北にありました。有力じゃない説の地図(でわかりますか?)にありますね。祇園社(八坂神社)の西向かいあたり。

妙法院を過ぎて、「夢千鳥」という何のお店?なのかよくわからない建物がある手前の横丁が、六波羅探題南方の南端です。

突き当りが豊国神社の小路
入口から西を撮影。

この道の奥、突き当りの向こうは豊国神社。南北朝のころはこの道は豊国神社の西にある正面通りまで突っ切っていました。

さあ、ここからスタートです

(写真は撮れるときだけ撮りました。混雑していたりして撮れない時もままあった)

東大路通りを北上すると、程なく大きな東山五条交差点が↓

東山五条交差点より
交差点から西を見たところ。

ここが六波羅探題南方の北端、この先が北方になります。
続けて真っ直ぐ北上し、北方の西北端・地図④の清水坂交差点で左折、松原通に入る。何ほどのこともなく南方・北方の東側が終了(笑)

KIMG1076.jpg
交差点を振り返って撮ったところ。

ここは長い下りの坂道。けっこうな傾斜です。…もしかしたら六波羅探題はもっと南にあったんじゃないかなあ、なんてことも思いながら進んでいく。
途中、右に六道珍篁寺が。

KIMG1078.jpg
六道珍篁寺。

六道珍篁寺を通り過ぎ、しばらく行ったところに、左に入るわりと大きな道がある(地図⑤)。左折すると六波羅密寺(地図⑥)があります。
境内に六波羅探題跡の碑があるので、それを見に行きました。(探題北方の西端はまだ先)

左折すると六波羅蜜寺
ここを左折し、六波羅蜜寺へ。
↑正面に「六道の辻地蔵」とあるのは西福寺、右手にあるのはみなとや幽霊子育て飴本舗。幽霊子育て飴は死後も我が子を育てるために飴を買いに行っていた母の愛のお話ですよね。詳しくはこちらをどうぞ(ウィキ「幽霊子育て飴」)。

六波羅蜜寺
六波羅蜜寺。

自転車は、六波羅蜜寺を通り過ぎた左角の辺りに止めておきました。

六波羅探題跡の碑
六波羅探題跡の碑。

この碑は何度も場所を変え、やっと落ち着いたという感じっぽいですね。でも探題の敷地は大きいので、これを見ただけじゃあんまりイメージ湧かないと思うんだけどどうだろう。(それもあって、周囲をめぐったというのもある)

私の一番の疑問は、六波羅探題の中にこのお寺があること。
六波羅蜜寺は平家没落の際焼失し本堂だけが残り、鎌倉末期とか南北朝時代には「地蔵堂」とか「六波羅地蔵堂」とかと呼ばれていたらしい。
「六波羅探題北方に接して地蔵堂、現六波羅蜜寺があった」という記述もどこかで見たことがある。
でも、専門家の先生方がそれについてなんの異論もなさそうなので、私の疑問はど素人のたわごとなんだろうなあ。


六波羅蜜寺の宝物館に心惹かれつつそこを後にする。
来た道を⑤の丁字路まで戻り、松原通を再び西へ。
角に「まつばらゆう薬局」があるのを左折します(地図⑦)。この道は大和大路通り。
ずうっと南下していく。途中、五条通をふたたび渡り、六波羅探題北方が終了(?)、南方に入ります。
すると左手に豊国神社が現れる。

正面通り
豊国神社正面の正面通り。(いま書いていて気付いた。神社正面だから正面通り?)

この通りと、始めの六波羅南方南端の細い路地が、昔は繋がっていたと推測されるというか、まあそうなんだろう。

豊国神社
豊国神社。正面通り~この参道~スタート地点の細い路地が一直線。

中に入ってしばし佇みました。六波羅探題の上に豊国神社が建ってるんだ~と、なんだか不思議な感じを受ける。

そしてここが六波羅探題外周めぐりのゴール!
だいたい全部で40分くらいかかりました。(キョリ測では12分だった…)自転車で40分だから、本当に徒歩でなくて正解でしたよ。


四囲をめぐって思ったのは、やっぱり「六波羅探題でかすぎない?」でした。室町幕府よりはるかに大きいんですよね。
上の方に貼った、小学館『太平記』の地図で幕府は12・13・14の番号のところ(時期によって移動している)。こちらの説の探題だって幕府に比べると相当大きい。まあ室町幕府は洛中だから、大きくしようがないという感じだったかもしれないけれど。
でもこの大きさは鎌倉幕府の大きさとも考えられますね。こんなふうに色々思いめぐらせることができるのも、やっぱり実際に周囲を回ったからなのかなと思います(というか、思いたい)。


さて、この豊国神社の時点で13:10ごろ。
そろそろお昼を食べたいなと思いつつ、私の史跡めぐり旅行ではいつもグルメとかは一切なしなので何も考えていなかった。
わざわざ検索して美味しいところをさがすのも面倒なので、途中で食べられそうなお店等を見つけたら食べようということとし、次の目的地・東福寺へと行きました。


つづきはまた明日
(次回で最後となります)

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カオリ丸

Author:カオリ丸
下総国の住人。
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