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南北朝についての日記?

ノー南北朝、ノーライフ。南北朝を愛してやまないド素人の恥かきブログです。

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濃密吉野&京都旅 吉野編(1日目)その2

濃密吉野&京都旅 吉野編(1日目)その1の続き。


吉野ではこちらのツアーに参加しました。
太平記の里感涙体験ツアー表

シンポジウムの後は、バスで旅館に入り、夕ご飯を頂きました。
夕食会場には正成さん型の兜の置物がなぜか飾ってありました。
KIMG0956.jpg
しかしかっこいいわぁ 剣形(っていうの?)の前立。


夕食後、このツアーの一番の目玉企画と思われる南朝妙法殿夜間特別拝観へ。
歩いて南朝妙法殿へと向かいます。

金峯山寺境内案内図
↑⑯が南朝妙法殿。(これは金峯山寺のリーフレット裏面です)
ライトアップされていて、幻想的で厳かな雰囲気でした。
日中の姿はこちらです↓

南朝妙法殿 御所桜
ディープな吉野の歩き方よりお借りしました)

この場所には明治時代まで実城寺というお寺があり、南朝はここを皇居としていました。
廃仏毀釈で実城寺が廃寺となるまで、皇居の建物はずっとそのままあったということです(建て替えはしていたそう)。
その後、昭和32年にこの八角三重塔が建てられました。

私たちツアーのメンバーと地元吉野の方たちなどが、暗闇に浮かび上がった塔の前で金峯山寺執行長の五條永教師(妙法殿のご住職でもある?)のお話をお聞きし、その後中を拝観…!(通常非公開です)

中央には御本尊、その左右にお位牌が並んでいました。
後醍醐・後村上・長慶・後亀山の南朝四帝のほか、大塔宮、村上義光・義隆父子、万里小路藤房・季房…他にもお位牌はあったと思いますが、じっくり見ている時間がなかった。天皇方のお位牌は大きかったです。
実は興奮しすぎて心がうわずり、あまり覚えていないんです…。本当にありがたい経験をさせていただきました…m(_ _)m

妙法殿を出て、すぐ隣の建物で後醍醐天皇の法要が行われました。

KIMG0958.jpg
祭壇?です。

五條永教師ほか二人の僧侶が散華しながら入場、五体投地のような礼をしたりした後、お経を読み上げられました。何種類も読経され、参列者(3~40人くらいかな)も一緒に唱和されました。私は般若心経しかわからなかった(汗)
とてもとても厳かな、また、公的な雰囲気もあり、またあたたかな雰囲気もあり…宗教的高揚感とでもいうものも感じました。
私には南北朝に関する心願があり、読経の間、後醍醐天皇の冥福を祈ると同時にお願いもしていました。もちろん、後醍醐天皇にです。このお願いはエゴではないと思っている。一心に祈りました。

法要の後に五條永教師のお話がありました。「この法要で後醍醐天皇や廷臣方は喜んでおられる。こころなしか肖像のお顔もそのように見える」と言われたことが心に残っています。
五條永教師はやわらかな、そしてあたたかな感じで、本心からそう感じているのがわかり私もうれしくなりました(吉野の方たちはみな、こういう雰囲気を持っているように感じられました)
ちなみにこの法要にはシンポジウムの森茂暁先生や五條元滋氏も参列されていましたよ。

↓散華の花葩(「かは」っていうんですね)、2枚いただきました♪
花葩
下の方の、実物はもっとザ・緑色という感じです。

永教氏のお話の後は、金峯山寺僧侶で吉野ビジターズビューロー専務の田中敏雄さんのお話をお聞きしました。
田中さんの法名は岳良師とおっしゃり、金峯山寺奥駈奉行なのだそうです。毎月峰入り?奥駈?をされているのだとか! また一仏堂ご住職でもあられる。

そんな吉野を知り尽くしている田中さんのお話はまるで宝箱を開けたようで、一つ一つが宝石みたいに感じられました
吉野と南朝、そして実城寺皇居に関することが主で、耳にすることすべてが驚きと衝撃。とにかくメモを取りまくりましたが、書いているうちに次から次へと聞き逃したくないようなお話が出てきて、もう、録音したかったですよ~
(翌日も各寺社をご一緒してその都度お話をしてくださいましたが、いっぱい聞き逃しているというか、覚えきれなかった…無念

そんな田中さんのお話の中から一部だけご紹介しましょう。

・実城寺が廃仏毀釈で毀たれて材が民間に下げ渡された。その際、釘がはがね製だったためそれを取るのに材はみな燃やされた。
奇跡的に花鳥の間にあったと思われる牡丹の描かれた板ぶすまが3枚だけ残り、山伏装束を扱う車田商店に2枚展示されている。
ちなみに花鳥の間は実城寺のなかでも一番古い建物にあたる。
・蔵王堂は現在檜皮葺きだが、昔は瓦葺きだった。いつごろからとか聞き逃したが、正平のころというのは確実。

その後、金峯山寺の奥にしまわれていたという資料が披露されました。広げられた長く大きな巻物は、江戸時代に描かれた「吉野全山古図」。金峯山寺というか蔵王堂の周辺の部分の絵図です。
実城寺の位置関係やおおよその規模がこれでわかりました!
また、村上義光が自害した二天門も、想像していたより大きい!! 横に長く、2階建。相当立派だ。
↓恥ずかしいですが、模写(じゃない)しました。
二天門スケッチ

こんなことがわかるなんて思ってもみなかったので、感激です

次に、金峯山寺に奉納された村上義光の絵像が出されました。銘の所に文化9年晩冬とあります。
無名の人が描いたのだそうですが、これはすごくいい絵で、義光が錦の御旗の長い竿で芋瀬庄司を打ち据えている図。『太平記』に出てくるシーンですね。庄司が投げ飛ばされた地は「こしぬけ田」と今現在も言われているのだとか!

そして真打というか、明治15年9月に作成されたという実城寺の間取り図が掲げられました!!! かぶりつきで見ましたよー! そして明治15年にはまだ実城寺は存在していたということがわかります。
上の方の実城寺の概要の所でもちょっと書きましたが、間取り図は再建のものだが、皇居であった時の間取りと同じに建ててあったそうです。

実はこの間取り図、『吉野路案内記』という本に写してあり、購入できます!! もちろん田中さんに教えていただき、というか、その場の皆さん興味津々だったせいか翌日持ってきて下さったんです。(飛びついて買ったのは言うまでもない

吉野路案内記
『吉野路案内記』宮坂敏和著

吉野町観光課が出している本で、吉野のお土産屋さんにはたいてい置いてあるそうです。昭和54年刊行。
調べてみると古書も結構出ていますよ

余談ですが、シンポジウムの会場で物販コーナーがあり、そこで買った↓の本もすごくいいです。たぶんこちらもお土産屋さんにあると思います。
吉野山と太平記
『吉野山と太平記』吉野町文化観光交流課発行。


すごいお話とすごいものをたくさん見せていただき感激・興奮さめやらぬ中にお開きとなり、宿へ帰ることとなっていましたが、自然な感じでしばしその場で歓談。(いや、すぐ帰らないといけなかったのですが
私はこのとき、畏れ多くも五條元滋氏に話しかけてしまいました。たまたま近くにいらして、ちょうどその時どなたかとのお話が終わった感じだったので…。
とっさにうまいこと話せなくて(涙) 4月に八女の五條邸に伺ったけどお会いできなかったことを話してしまいましたが、頼元や良氏・頼治たちのことを言えばよかったと後から後悔…。でも、元滋氏は腰の低い、とても丁寧に対応して下さる方で、素晴らしい人格をされているのがたったの一瞬でわかりました。涙が出てきます…(八女の人たちは本当に素晴らしいですね…)。

その後、今度は懲りずに森茂暁先生にアタックしてしまった。先生は今執筆中の本のことや、その次に書く予定のことなどを話して下さいました とても気さくで、しかもかなりカッコよかったです


気がついたらほかのツアーの方はすでに宿へ戻り、Fさんと私をビューローの長谷さんが待っていて下さっていました。たいへん申し訳ありませんでした~!!
(嫌な顔を一つせず対応して下さり、本当に感謝しています!)


興奮しどおしの第一日目はこうして終わりました。


続きの2日目(その1)をお楽しみに

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カオリ丸

Author:カオリ丸
下総国の住人。
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