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南北朝についての日記?

ノー南北朝、ノーライフ。南北朝を愛してやまないド素人の恥かきブログです。

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南北朝時代の歴代天皇の数え方

今日は歴史のど素人のたわごとです。よくわからないことを綴っているのでグダグダな内容なことをお断りしておきます



南北朝時代というか、もしかしたら明治時代くらいまで? 歴代天皇の数え方が現在とは少し違うようです。
たとえば現在、後醍醐天皇は第96代となっていますが、鎌倉末期~南北朝の頃は95代とするのが当時の一般的な理解だったとか。

なんですが、洞院公賢さんが著した『皇代歴』という年代記(歴代皇紀ともいう)では現在と同じ、96代なんです。
しかし北畠親房の『神皇正統記』では95代とのこと。
(どちらもこの記事を書くのにほぼ初めて閲覧しました。面白かったです!)

どうやら、85代仲恭天皇を入れるか入れないかがカギとなっているっぽいです。

仲恭天皇は順徳天皇第四皇子で、後鳥羽上皇の孫。
祖父と父が引き起こした承久の乱のため、北条氏によって即位後わずか78日で廃され、即位式も大嘗祭も行われなかったため諡号・追号がされず、九条廃帝、承久の廃帝、半帝、後廃帝と呼ばれていた。
明治3年に、弘文天皇、淳仁天皇とともに諡号が布告、つまり正式に天皇とされた、という人物。
(以上、Wikipediaによる)

南北朝の人にはいまだに生々しい記憶だったのかも…?
そんな中で公賢さんが仲恭天皇をカウントしていたのはどういう理由だったのでしょうね。



仲恭天皇だけでなく、歴代天皇の数え方はほかにも現在とは違う部分があります。
『皇代歴』と『神皇正統記』だけでしかいま確認できないのですが(この2つで十分だとも思う)、どちらも14代仲哀天皇と15代応神天皇の間に神宮皇后が入り、39代弘文天皇が入っていません。

弘文天皇は天智天皇の皇子・大友皇子で、仲恭天皇とともに明治になってから天皇とされました。
(同じく明治になってから諡号された淳仁天皇は、「淡路廃帝」として『皇代歴』『神皇正統記』どちらにも入っています)

公賢さんと親房パピィにそれぞれの理由をうかがいたいです!(笑)

(このあたりのこと、全く知らないのでどなたかにご教示願いたい…


花園天皇像(長福寺wikiより)
なんの脈絡もなく花園天皇像 by豪信(文字ばかりなので…)
花園さんは現在95代ですが、鎌倉末~南北朝時代だと94代目という認識。


ちなみに古典太平記の西源院本(いま岩波文庫で出ているやつ)と神田本という異本では後醍醐天皇は96代となっている。
これはどうやら作者が『皇代歴』を参考にしたらしいです。


…なんか突然、公賢と親房は仲が悪かったのでは、というような妄想が広がってきました(笑)
(ありえそうですよね? どちらも故実家で。面白い~)



※蛇足ですが…

後醍醐天皇の後はどうなっているかというと、『皇代歴』は後醍醐のあと97代光厳、98代後醍醐(重祚ですね!)、99代光明、100代崇光で終わっているというか、その後はなぜか101代とかの番号がなく、後光厳、後円融…と続いていきます。
(公賢さんは延文5年(1360年)後光厳天皇の代に亡くなっており、その後を室町~戦国時代の公家・甘露寺親長によって増補がされている)
北朝公卿だったのでもちろん北朝の天皇のみ。

対して『神皇正統記』は後醍醐の後は後村上天皇で終わりです。こちらも執筆されたのが後村上の代でした。




参考文献等:
角川文庫ソフィア『太平記』第一巻
新潮日本古典集成『太平記』一
小学館日本古典文学全集『太平記』①
国文学研究資料館【歴代皇紀】
国立国会図書館デジタルコレクション 神皇正統記
皇代暦 - Wikipedia

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明後日9月23日は五條家御旗祭です

征西将軍宮懐良親王、後征西将軍宮良成親王のもっとも側近くに仕え、征西将軍府を、親王たちを支えた五條家。
時代が変わってもその姿勢は変わらず、現在も九州南朝最後の拠点となった福岡県八女市にあって、両親王の事績を守り伝えています。

現在、五條氏邸では毎年秋分の日に「五條家御旗祭」が行われ、ゆかりの品々が一般公開されています

御旗まつり(南北朝動乱のドラマ)
パンフレット「観る知る学ぶ 八女は楽しい 南北朝動乱のドラマ」より


五條家御旗祭

日時:平成30年9月23日(秋分の日)

時間:午前10時

場所:五條邸 (八女市黒木町大淵小学校前)
 福岡県八女市黒木町大淵3998


五條家案内図
案内図です。

御旗祭り
平成28年の御旗祭の様子(西日本新聞より)


展示されるものの中で白眉は「金烏(きんう)の御旗」ですね。
後醍醐天皇が4人の皇子に授けた錦旗で、残っているのはこの一旒だけです

また、良成親王や五條頼元が着用した甲冑などもお披露目されますが、とてもきれいに保存されていて、五條家の人たちが大切に大切に守ってきたことがありありと実感されるのだそうですよ(八女に残る良成親王とその妃・姫御前の伝説を舞台化された劇団大藤の樋口好枝さんが教えてくださいました!)


パンフレットにもありますが、五條家は宮内庁陵墓守部(しゅぶ)として八女にある良成親王のお墓を明治時代から守っています(実は南北朝時代から綿々と続いていました…詳しくはこちらの下の方をご覧ください)。
同じく八女には懐良親王のお墓もあって、両親王とも篤く供養されています。
(懐良親王のお墓は熊本県の八代宮が正式なお墓とされていますが…個人的には八女の方が信憑性がありそうと思っています)


八女には去年、良成親王お手植えの伝説のある「黒木大藤」が満開の時期に行ってきました。(劇団大藤の樋口さんをはじめとした皆様にたいへんお世話になりましたm(_ _)m

黒木大藤5

五條家を含む奥八女の一部の方々は、現在もなお親王たちの藩屏たるという意識を持ち続けているように伺えます。
藩屏は大仰な言い方かもしれませんが、時代が変わって薄まった(表面的に)だけで、根っこの部分は変わらないのではないかと勝手に感じています。

実際に八女に行ってみて、肌で感じた感想です


今年は日曜日なのでたくさんの人が集まりますね!
よいお天気でありますよう、お祈りしています



・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

劇団大藤のミュージカル劇「藤の記憶~良成親王と姫御前~」についてはこちらを、
私が去年行った九州旅行記の八女の部分はこちらをご覧ください

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足利尊氏の新肖像画所蔵の寺崎さんの講演が行われました!!

今日も尊氏さんの話題です

先日、足利尊氏の新肖像画発見のいきさつなどが掲載された記事をご紹介しましたが(こちら)、像を所蔵する古美術商・寺崎正さんの講演会が催されたのだそうです!
しかも新肖像画も公開されたのだとか


足利尊氏肖像画にどよめき 所蔵者・寺崎さん講演 売茶翁顕彰会「おもしろ学講座」
佐賀新聞LiVE 2018/09/16

NPO法人高遊外売茶翁(ばいさおう)顕彰会の「佐賀おもしろ学講座」が始まった。初回の13日は佐賀市柳町の浪漫座で、室町幕府の初代将軍足利尊氏(1305~58年)を描いたという肖像画の写しを所蔵する寺崎正さん(佐賀市出身)が講演した。寺崎さんは肖像画の現物を広げ、約170人の参加者らはどよめいて身を乗り出した。

寺崎さんは3年前に古美術品の交換会で尊氏像を購入した。肖像画に人物の功績などを書き記した「讃(さん)」と呼ばれる文が黒ずんでいて読めず、詳しいことが分からないまま「ついでに買った」という。

クリーニングすると尊氏の送り名「長壽寺殿(ちょうじゅじどの)」が表れ、尊氏と判明したという。寺崎さんは「交換会でもっと値がつり上がったら買っていなかったかもしれない」として「ちょうど良いプレゼントをもらった」と笑顔を見せた。

参加者からは「どうして写しと分かったのか」と質問があった。寺崎さんは掛け軸に使われている布が作られた時代や讃の文章の精度で素性が分かると説明。参加した原憲義さん(73)=神埼市=は「将来は教科書に載るのでは」と期待を寄せていた。

講座は各分野の専門家を招き佐賀の文化を学ぼうと毎年開いている。唐津市の名護屋城博物館を訪ねる現地研修も含め全10回を予定。問い合わせは同会、電話0952(65)2152。


足利尊氏肖像画の写しと分かった掛け軸を示す寺崎正さん=佐賀市柳町の浪漫座(佐賀新聞)
足利尊氏肖像画の写しと分かった掛け軸を示す寺崎正さん=佐賀市柳町の浪漫座

ガ、ガラスケースがない…!!!
うわあああ~~~~~! これ行った人いいなあ、うらやましすぎるーーー

そして「どうして写しと分かったのか」という質問、超ナイスですね。
私もそのあたりがものすごく知りたい。康応元年(1389年)に作られたのだそうですが。


ところで、この講座が行われた浪漫座という施設を調べたら素晴らしくて驚きました!
佐賀市歴史民俗博物館(旧古賀銀行)の中に併設されたレストラン&カフェで、コンサートホールも兼ねてるのかな? レトロな建物で行ってみたいです

佐賀市歴史民俗博物館は5つの歴史的建物群の総称とのことで、旧古賀銀行はその中で唯一の洋風建築。

旧古賀銀行(佐賀ポータルより)
中も素晴らしいんです~(画像は佐賀ポータルよりお借りしました)

南北朝の史跡をめぐりに佐賀県にもいつか行こうと思っています。行ったら浪漫座でご当地グルメのシシリアンライスを絶対に食べようと心に決めました!
(尊氏さんとは関係のない締めとなってしまった

足利尊氏筆「日課観音地蔵像」が発見されるというか、発見されていた!!!

6月のニュースなんですが、足利尊氏直筆と思われる地蔵菩薩像が発見されたのだそうです!!!


足利尊氏筆「日課観音地蔵像」か 井原・平櫛田中旧蔵の紙片3点
山陽新聞dgital 2018年06月01日


発見されたのは、十一面観音、地蔵菩薩像などを多数描いた紙片3点で、特徴をまとめると、

・3点とも大きさは縦16~18センチ、横13~26センチ。
・うち2点は墨で観音、地蔵像が連続して描かれ、裏面には無数の五輪塔図。もう1点は五輪塔図のみが並び、それぞれ日付が添えられている。

というもの。

栃木県立博物館などによると、尊氏は熱心な仏教徒で、合戦の死者を供養するとともに、合戦に明け暮れた自身の救済のために毎日、観音、地蔵像を描くことを日課としていたという。田中美術館所蔵の紙片には花押や署名は無いものの、同博物館が所蔵する2点の日課観音地蔵像と、観音や地蔵の表情、大胆で素早い筆致、紙の質、虫食いの形跡などが酷似。元は同一の巻物だった可能性もある。
(記事本文より)

リンク先には画像があります。
↓こちらは栃木県立博物館が2012年に開催した「足利尊氏 その生涯とゆかりの名宝」展の図録から。
日課観音地蔵像(栃木県立博物館「足利尊氏 その生涯とゆかりの名宝」展の図録から
確かにそっくり!!


日課観音地蔵像とは、「供養の証しとして観音や地蔵を毎日繰り返し描いたもの。武将ら身分のある者が個人的にひそやかに行ったとみられる。」というものだそうで、同じようなもの(?)に印仏というのがありますね。ハンコで透き間なく捺していく。
日課観音地蔵像はそれよりも手間がかかるので、作善としてはより効果的と考えられていたのかな。(あてずっぽう)

こちらの地蔵像は所蔵する田中美術館(岡山県井原市)で6月に展示されていたのだそうです!
またしてくれないかな~と思います


ところで、「尊氏は熱心な仏教徒」とありますが、当時の人はみんなそうだったですよね。
仏教の世界観に支配されていた。
(その中でも篤い薄いとかはあるでしょうけど→尊氏は篤い人)
宗教と宗教観を抜きに、当時の事は語れないし理解もできない。ものすごいポイントですよね。

…ということを、最近やっと理解できたんです
なので今回のような新たな遺物の発見は私にとって非常にタイムリーでした

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足利の姫二人が活躍する戦国小説「嶋子とさくらの姫」 さくら市HPにて連載中

鎌倉公方・足利基氏の流れを汲む喜連川氏。
その成立に深く大きくかかわる二人の姫が活躍する戦国時代小説『嶋子とさくらの姫』が、栃木県さくら市のホームページ上で連載されることになりました!
執筆は第13回「このミステリーがすごい!」大賞優秀賞を受賞した神家正成氏です。
第1話の「序章」がすでにアップされています

↓『嶋子とさくらの姫』あらすじ。
絶世の美女と伝わる嶋姫は喜連川にある大蔵が崎最後の城主塩谷惟久の妻ながら、小田原攻め後、出奔した夫の弁明を果たし、秀吉の側室となりながら一族を救います。
また古河公方の氏姫は嶋姫の弟と婚姻し、喜連川足利家として歴史をつなげていきます。
この数奇な運命をたどる2人の姫の物語に是非ご期待ください。



さくら市と小説家がコラボ 歴史小説『嶋子とさくらの姫』連載開始
さくら市ホームページ

早速読んでみましたが、面白かったです!
ライトノベルっぽい感じで、とても読みやすいですよ。嶋姫がかわいいです

嶋姫は小弓公方・足利義明の孫、氏姫は最後の古河公方・足利義氏の娘ですね。
嶋姫は架空のキャラかと思っていたら、実在の人物なんですね!
一方の氏姫は有名ですよね。といっても私は名前くらいしか知らないのですが
そういうわけで、ちょっと調べておおまかな系図を作ってみました…合ってるかな

『嶋子とさくらの姫』関係略系図
すごく縦に長くなってしまった…申し訳ない! 基氏のころから時代が経っているんですね~。

氏姫って、秀吉の命ではじめ国朝に嫁ぎ、国朝死去後その弟の頼氏のもとに再び嫁いでるんですね…。
頼氏が喜連川藩主初代となり、氏姫との間に生まれた義親の子・尊信が2代目となって続いていくらしい。
(義親は頼氏よりも早く亡くなったのだそう)

ふあー、勉強になった!

※さくら市は喜連川藩のあったところです。
また、喜連川藩の特殊性については過去記事「「とちぎ発!旅好き! 再発見!きつれがわ歴史散策」の感想」に簡単にまとめてありますので、よろしければそちらをご覧ください


『嶋子とさくらの姫』は全7回、来年3月まで不定期に連載されるのだそうです。
神家氏のツイッターによると、月一くらいの更新の予定とのこと!
楽しみにしたいと思います

サントリー美術館「京都・醍醐寺-真言密教の宇宙-」展 もうすぐ開催です

展覧会のご案内です。


京都・醍醐寺-真言密教の宇宙-
サントリー美術館


京都・醍醐寺-真言密教の宇宙-1
京都・醍醐寺-真言密教の宇宙-2

京都にある醍醐寺は、真言密教の拠点として、古くから歴史の表舞台で重要な役割を果たしてきた名刹です。

今回の展覧会では国宝・重要文化財に指定された仏像や仏画を中心に、普段は公開されない貴重な史料・書跡を通じて、平安時代から近世にいたる醍醐寺の変遷を辿ります。

また桃山時代に豊臣秀吉が行った「醍醐の花見」の関連作品や、三宝院の襖絵など、醍醐寺をめぐる華やかな近世美術も鑑賞できる貴重な機会となります。

会期:9月19日(水)~11月11日(日)



国宝約35件、重要文化財約50件を含む名宝約120件が一堂に会すこの展覧会。
4つの章に分かれた展示構成となっており、南北朝と関係するのは第3章「法脈を伝える─権力との結びつき─」で、後醍醐天皇・足利尊氏の書跡が出陳されます

…こちら展示品リストが公開されておらず、ほかにも南北朝関連の展示品があるかどうかは不明なんです。
展示替えもあるとのことなので困りますね…(展示リストに展示期間が掲載されているので)

情報を得ましたら追記したいと思います。



***9/18 追記****************************
展示替えリストより、南北朝に関係するものをリストアップしました。
(注:見落としや間違いの恐れがありますので、かならず公式サイトの展示替えリスト(PDF)よりご確認ください)

・重文 五秘密像 鎌倉~南北朝時代 9/19~10/15
・役行者及び八大童子像 南北朝~室町時代 10/17~11/11
・国宝 理性院祖師像 南北朝時代 10/17~11/11
・国宝 厚双紙 暦応2年(1339) 9/19~10/15
・国宝 当流紹隆教誡 後宇多天皇筆 徳治3年(1308) 10/24~11/11
・国宝 天長印信 後醍醐天皇筆 延元4年(1339) 9/19~10/8
・重文 賢俊日記 貞和2年・文和4年 貞和2年(1346)・文和4年(1355)
  貞和2年:9/19~10/15、文和4年:10/17~11/11
・国宝 賢俊書状 観応2年(1351) 9/19~10/15
・国宝 足利尊氏自筆書状 観応2年(1351) 10/17~11/11
・重文 理趣経 足利尊氏筆 延文2年(1357) 10/17~11/11
・国宝 足利義満御教書 応永6年(1399) 10/17~11/11

足利尊氏の新肖像画発見の経緯など

去年、足利尊氏の新たな肖像画(写し)が発見されたというニュースが巷を駆けめぐりました。このブログでも取り上げましたね。とにかく興奮しました!

新尊氏像

(過去記事はこちらです→「足利尊氏の新たな肖像画が発見される!! 」「新肖像画のちょっとした考察()幷に垂れ目でチャーミングな尊氏さん」)


今日はこの肖像画を所蔵する古美術商「白水」さんのお話が掲載された記事をご紹介します


「一生一度の大事件」足利尊氏の肖像画写し発見 佐賀出身の寺﨑さん
佐賀新聞LiVE 2018年4月17日

昨年10月、古美術店「古美術白水」=東京都港区=店主寺﨑正さん(72)=佐賀市出身=が所蔵する掛け軸が、室町幕府の初代将軍足利尊氏(1305~58年)を描いた肖像画の写しとして栃木県立博物館で公開された。専門家の調査ではこれまで教科書などに掲載されていた肖像画は、尊氏とは別人と見られている。

2016年、寺﨑さんは骨とうの交換会で「天神賛」と文書が付された掛け軸と出合った。線香の煙などで黒ずんでいたため表具師にクリーニングを依頼し、翌年戻ってきたものを偶然来店した栃木県立博物館の本田諭学芸員(49)らに見せた。本田さんは、汚れが落ちて像の頭上に浮かび上がった文章の中に尊氏の東北での送り名「長壽寺(ちょうじゅじ)殿」を見つけて「尊氏だ」と驚いたという。

尊氏を描いた絵画が見つかったのは、広島県尾道市の浄土寺に続き2例目。寺﨑さんが所持する肖像画の人相は垂れ目で鼻が大きく、これまで確認されている尊氏の彫像とも特徴が同じだった。本田学芸員は「寺﨑さんの手に渡っていなかったら、発見されず世に出ることがなかったかもしれない。我々にとっても作品にとっても幸運だった」と話し、歴史的な瞬間に立ち会った寺﨑さんは「きっと一生一度の大事件。多くの人に見てもらいたい」と喜びをかみしめている。

寺﨑さんは大学進学を機に上京、古美術の魅力に取りつかれ修行を重ねて1980年に同店を開業。菅原道真(845~903年)と煎茶道の祖・高遊外売茶翁(1675~1763年)が専門。
 


こんな経緯で尊氏像が発見されたんですね。
偶然お店を訪れたのが栃木県立博物館の学芸員というのも凄い!!!


白水さん所蔵というのは以前調べて知っていたんですが、広めることに弊害(?)がないか心配でブログに書かないでいたんですけど、新聞記事になっているのでもう大丈夫ですね。
この尊氏像、売り物ですよ。売っています! 買えちゃいます!!!

【足利尊氏像画幅】|白水

金額が表示されていないのがこわい……


本当は栃木県立博物館のほうで買い取りたかったんでしょうが、無理だったんだろうな…と想像しています。
私も欲しいですがね、、、(笑)


またどこかで展示される機会があったら、今度こそ見に行けたらいいなと思っています

佐々木道誉役・陣内孝則さんの大河ドラマ「太平記」インタビュー!!!!!

今年6月にアップされた記事ですが、大河ドラマ「太平記」で佐々木道誉を演じた陣内孝則さんが、同ドラマについてや役作りなどについてを語っている記事を発見しました


「太平記」出演の陣内孝則が語る「デヴィット・ボウイ的なバサラ大名を目指した」
AERA dot. 2018.6.10


「判官どのが判官どののことについて語ってるーーーー!!!」とうれしくなってゴロゴロ転げまわってしまいました(笑)

この記事は「大河ドラマ誕生55周年の秘話」という連載で、陣内さんのインタビュー部分は多くはないですが、密度がとても濃いと思います。「太平記」制作の周辺についてや評価なども簡潔にして読みごたえあり。

最後に大河「太平記」ファン、陣内道誉ファンとしては感激することをおっしゃっていますね!


「道誉は僕が出会った役のなかでは最も好きなキャラクターです」


うれしすぎです!!!!!


ただ、自分的にはデヴィット・ボウイをよく知らなくて残念…
知っていたらもっと陣内さんの演じる佐々木道誉がよく理解できたのかな~。



ところでインタビュー中にも言及のあった道誉の直垂は↓これがいちばん派手かも。
道誉の派手な直垂
陣内さんにしか着こなせないと思う

実は私、道誉が着た直垂をすべてリスト化している
それによると、この直垂は第23回で初登場、その後5回も登場している、判官どのお気に入りの直垂(笑)

今度「判官どのの直垂コレクション」みたいなのを作ってみようかな

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南北朝時代に描かれた最古の日本地図が展示!「初公開!世界を驚かせた日本人の地図づくり」展

日本列島のほぼ全域が描かれた地図としては最古とされる古地図が広島県で発見されたのだそうです!!(発表は6月)
時代はわれらが南北朝時代(14世紀中ごろ)
現在、ふくやま草戸千軒ミュージアムで公開中です!


企画展「初公開!世界を驚かせた日本人の地図づくり」
ふくやま草戸千軒ミュージアム(広島県立歴史博物館)


チラシ1
チラシ2

当館寄託の日本最大級の古地図コレクション「守屋壽コレクション」の第3回目の展示会。今回は,新発見の伊能忠敬の日本地図など幕府の日本地図を中心に,地図づくりの進歩の様子を,コレクションに新たに加わった資料を交えて紹介します。

併せて,県内には他に例がない安芸国絵図や備後国絵図のほか,広島城・福山城下の古地図も紹介し,その上で,江戸時代の地図づくりが,時代を生きる人々に利用され,また,人々の暮らしを支えていた様子を紹介します。

会期:平成30年7月19日(木曜日)~9月24日(月曜日・休日)


チラシ3
↑いちばん左のが南北朝時代に描かれた「日本扶桑(ふそう)国之図」。
↓拡大しました。
日本扶桑国之図
当時日本として認識されていた九州から東北地方までが記載され、地図の上側が西、下側が東になっている。
赤いラインは街道。

※朝日新聞DIGITAL「日本列島ほぼ全域描く、最古級の地図発見 広島の博物館」(2018年6月15日)にはもっと画質のいい・各地方がアップの画像が掲載されています。

日本扶桑国之図 概要
地図の概要。

欄外には群名なども書き込まれているようです。
また、「日本扶桑国之図」発見のニュースについて書かれたブログなどを見ていたら、土佐国には「足摺○○」という書き込みがされているのに気付いたという記事があったのですが、足摺には有名な補陀落渡海伝説がありますね。
わざわざ書き込まれるということに当時の人たちの意識がうかがわれて面白い(写本らしいんですけど)

これ、誰が作ったんでしょうね。来歴も知りたい。
とにかく全部じっくり見たいです!!!


(ところでこちらの地図を所有している守屋さん、もしかして『騎馬武者像』もお持ち!?)

霊山神社へ周遊バスで行こう♪ 福島と山形で広域観光実験実施

ひっさびさに情報収集がちょっとだけ出来ました これから少しずつ始めていけたらと思っています。

今日は今年10月~11月ごろ、北畠顕家卿の霊山へお得に旅行出来ちゃうかもしれない という話題です。


「道の駅」活用 米沢、相馬結び広域観光実験
毎日新聞 2018年8月22日


東北中央自動車道や周囲の「道の駅」を利用した広域観光周遊の社会実験を、福島市が10月上旬から11月下旬にかけ、相馬市と山形県米沢市を結ぶ区間で実施する。福島市が国土交通省に申請し、採択された。それぞれの道の駅を拠点に周遊バスに乗ったり、自転車で周囲を散策する観光スタイルなどを楽しんでもらい、どれだけ観光客を呼び込めるかを検証する。(以下略)


本文が長いので貼るのは冒頭だけにして、要約すると実験内容の内訳は以下の2点となるでしょうか。

・4つの道の駅間を結ぶバスを運行
(道の駅はそれぞれ相馬市「そうま」、伊達市「伊達の郷りょうぜん」、米沢市「米沢」、福島市「福島市(仮称)」)

・各道の駅では、観光客を呼び込むためのイベントを企画
(サイクリングが出来たり、観光スポットへの周遊バスが通ったり)
この項目で顕家卿の霊山が直接関係しています!
「伊達の郷りょうぜん」では南北朝時代の公家、北畠親房らにゆかりがある霊山神社などの歴史巡りができる周遊バスを走らせる」と上掲の新聞記事にありました~
(毎日新聞的には顕家卿じゃなく親房パピィなんですね…?)

※ちなみに霊山神社は駅からタクシーで往復7,000円もかかるんです…よろしければ過去記事「萩姫&顕家卿ツアー 2日目 北畠顕家卿ゆかりの地めぐり(霊山神社)」をどうぞ。


また、この期間に伊達市では市内の店舗で利用できるクーポンの発行なども行うようです。(PDF「伊達市観光誘客促進事業の概要 ~道の駅を拠点とした市内周遊の仕組みづくり」より)

↓わかりやすい図。水色の丸が道の駅で、それぞれで周遊できたりサイクリングができたりする。
福島 広域観光周遊の社会実験
東北中央道と道の駅を活用した社会実験のイメージ図(福島市提供)。赤い線のルートを広域周遊バスが運行する


タイトルや本文にもある通りこれは実験で期間限定での試み。
紅葉の季節ですし、いろいろ観光プランを練ってこの時期に行くのもいいですね

詳しい情報が見つけられ次第、またお知らせできたらと思います。


(伊達市ではこれとは別に(というか、みな震災復興計画の一環でしょうね)、15年をかけた地域開発「霊山高原構想」を進めていますね。
過去記事「北畠顕家卿が有名になるかも!!「霊山高原構想」」をご覧ください

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プロフィール

カオリ丸

Author:カオリ丸
下総国の住人。
南北朝初心者で、足利尊氏が好きです。
メールアドレス↓
alovet1305★あっと★gmail.com
(「★あっと★」を「@」に置き換えてくださいね)

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