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南北朝についての日記?

ノー南北朝、ノーライフ。南北朝を愛してやまないド素人の恥かきブログです。

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相国寺承天閣美術館にて「『温故礼讃』―百花繚乱・相国寺文化圏」展 開催中

足利義満が創建した相国寺の中にある承天閣美術館で、一級の名品が一堂に会した美術展が開催中です。


『温故礼讃』―百花繚乱・相国寺文化圏
相国寺承天閣美術館

相国寺承天閣美術館「『温故礼讃』―百花繚乱・相国寺文化圏」展1
相国寺承天閣美術館「『温故礼讃』―百花繚乱・相国寺文化圏」展2

今から約六百年前、室町三代将軍・足利義満によって創建された相国寺は、金閣、銀閣の世界文化遺産を有し、今もなお禅の古刹としての存在を誇っています。
 
そこで育まれた文化は、足利将軍家の唐物趣味(中国趣味)と深く関わり、他の京五山禅林とは異なる独自の文化を構築しました。
 
金閣では義満が膨大な中国絵画の名品を愛玩し、銀閣の地・東山山荘の同仁斎では八代将軍義政が中国の隠遁思想を体現しました。また相国寺では画僧たちが将軍家の御用絵師に代々就任し、そこに誕生した画風は室町水墨画史を多様に彩りました。
 
相国寺の文化活動は、室町文化の歴史に新風を吹き込みました。
 
今回の展覧会は、相国寺文化圏と銘を打ち、国宝、重要文化財を多く含む、相国寺に伝来の名品を一堂に展観し、室町時代からの歴史の荒波を乗り越え今に伝わる寺宝への、温故(古きをあたためる)という教えを礼讃しようとするものです。
 
今春、重要文化財に新指定された円山応挙筆「大瀑布図」の巨軸も堂々のお披露目です。ご堪能ください。


会期
I 期:2018年10月13日(土)~2018年12月24日(月・振休)
II 期:2019年1月13日(日)~2019年3月24日(日)
【会期中無休】


※展示替えあり


出品リストがないようですが、南北朝に関するものとしては足利義満と開山の夢窓疎石の肖像画はあるそうです!
義満のはすでに展示されているとのこと。


この展覧会、素晴らしい芸術を味わって脳が喜びそうですね
感覚を磨くための好機ともなりそう…そんな展示品が目白押しです。

京都新聞からの情報によりますと、「相国寺は、中国絵画、室町水墨画、近世絵画、墨跡、茶道具を数多く所蔵する。前後期通じて国宝、重要文化財を含む計約90件160点を紹介する」とのことで、

・雪舟、伊藤若冲、長谷川等伯ら日本美術史を彩る巨匠たちの傑作、茶の湯の名品
・高さ3・6メートルを超える円山応挙の大作「大瀑布(ばくふ)図」(通期)は重文指定後初お披露目
・若冲「鹿苑寺(金閣寺)大書院旧障壁画」は50面を展示(前期のみ)。
・足利義政遺愛の唐物茶入、青磁茶碗


などが展示されている(される)そうです


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板碑について

今日は調べ物をしていて見つけた、板碑についてのページをご紹介します。
日本一大きな板碑という「野上下郷石塔婆」や板碑の概要など、とてもわかりやすくまとめてあります


秩父にある日本一大きい板碑を見に行った後に板碑について色々と調べてみた
葬儀・家族葬なら格安葬儀の【心に残る家族葬】


野上下郷石塔婆1(長瀞町観光協会公式サイト)

野上下郷石塔婆2(長瀞町観光協会公式サイト)
画像はともに長瀞町観光協会公式サイトよりお借りしました。


高さ5.35mって、びっくりですね そんな板碑があるなんて知りませんでした。
そして阿仁和基保・直家についても気になります。場所的に武蔵七党の人かと思ったら違うんですね。

基保は大和国の出身で北面の武士をしていたのだそうですが、神仏のお告げにより武蔵国に一族引っ越し、そこで新田氏の家臣となったのだとか。
居城の仲山城は正和元年(1312年)の築城、そして基保は建武2年(1335年)に没したとか、息子直家と秋山氏との諍いなど調べると出てきはするんですが、どういった史料によるものか不明な感じです。
基保は諏訪神社を勧請しているので、そちらの由緒など地域の伝承的なものなのかもしれません。

いつか詳しく調べられたらいいなと思います



ご紹介したページは葬儀会社のサイトのなかの、板碑についてのコラムでした。
ほかのコラムもとても興味深いものばかりですね。
歴史に関するものも結構あり、時間の余裕のある時に心を落ち着けて読ませていただこう

 
葬儀のコラム|葬儀・家族葬なら格安葬儀の【心に残る家族葬】


金閣寺「南池跡」で新たな発見が!

1か月ばかり前のことですが、足利義満の金閣寺で新たな発掘成果が出たようです


金閣寺に足利義満が造成した幻の池 発掘調査で
京都新聞 2018年10月11日


京都市北区の金閣寺(鹿苑寺)の発掘調査で、同寺や市埋蔵文化財研究所は11日、金閣に面した鏡湖池南側にあったとされる「南池跡」について、創建した足利義満が造成し、未完に終わった池だったことが分かり、同時期の礎石建物も近くで新たに見つかったと発表した。義満が晩年を過ごした「北山殿」では金閣のほか、国内最大級の北山大塔が存在したことがすでに明らかになっている。幻とされた南池跡の出土は、北山殿が現在の建物規模より大規模に造成されたことを裏付け、室町幕府最盛期を築いた権力者・義満の権勢を示すものという。

金閣や鏡湖池の南側で行われた発掘調査(京都新聞)
金閣や鏡湖池の南側で行われた発掘調査。写真手前側で南池跡の堤や建物礎石が見つかった(いずれも京都市埋蔵文化財研究所提供)


金閣寺の境内整備に伴い、市埋文研が2018年8月までの約2年間、約840平方メートルを調査していた。

南池跡では、池を囲うように東、西、南側に盛り土し、堤(高さ0・6~1メートル、幅2~5メートル、総延長170メートル)を築いているのを確認した。池内部や堤沿いに、直径6~20メートルの島状の高まりが3カ所あった。遺物の出土状況から、北山殿が築かれた14世紀末ごろに造成されたとみられる。

ただ、造成土からは防水のために施す粘土層が見つからず、周縁部に護岸石もなかったため、未完だったとみている。

堤は15世紀後半ごろにかさ上げされ、高さ約2メートルの土塁のようになっていた。応仁・文明の乱(1467~77年)で西軍の陣地になった際、防御用に造り替えられたのではないかとする。

一方、南池跡の北東辺では、東西5・4メートル、南北6メートルの小型建物跡が出てきた。礎石13個が並び、正面方向で人目に付く東側柱や縁側には、30センチ四方に加工した白い花崗岩(かこうがん)を用いていた。土を固めて整えた舞台のような「三和土(たたき)」(東西10メートル、南北7メートル)が東南方向に広がっており、私的な空間として儀式などを行っていた可能性があるという


金閣と南池跡(京都新聞)
金閣と南池跡


北山殿は、義満が死去する1408年まで約10年間を過ごし、政務を行う会所や御所もあり、近くに武家や公家、門跡寺院住職らも集住したと、貴族や僧侶の日記から推定されている。近年の発掘調査では100メートル級の高さとされる北山大塔の頂部分を飾った相輪が見つかっている。

京都市埋文研は「今回見つかった大規模な造成跡や精密に加工された礎石から、義満の北山殿が想像以上に大規模な構造だったことが分かる。ただ、建物の配置や使い方に不明点が多く、文献に基づく検証を進めたい」としている。


□京都産業大の鈴木久男教授(考古学)の話
南池は、北山殿をさらに拡張してゆく手始めとして造営したのではないか。金閣をよく眺められ、一番目立つ場所から着手したとみられ、義満が存命であれば水を張った池が完成していただろう。強大な権力を握った義満が築いた北山殿だが、今回見つかった礎石建物を含めて不明な点が多い。北山殿の全容を復元する上で、貴重な基礎的な資料が得られた。


相国寺七重大塔の復元CG
足利義満が「北山大塔」の前に、相国寺に建てた七重大塔の復元図(復元考証・冨島義幸、CG作成・竹川浩平)
※画像は日本経済新聞より


◇足利義満と金閣寺
室町幕府3代将軍・義満は将軍職を息子・義持に譲ると、1397年に隠居所として「北山殿」の造営を始め、移住。武家に加え、公家や寺社勢力も従える強大な権力を握り続け、ここに海外貿易のために中国・明の使者を迎え、国内最大級とされる北山大塔の建築に着手した。1408年、後小松天皇の行幸後、突然死去して遺言により鹿苑寺になったが、金閣以外の多くは移築、焼失した。




金閣寺周辺については分かっていないことが多いんですね。
そもそも義満についての研究もまだまだ途上の印象…
これからいろんなことが解明されていくのだと思うと楽しみで仕方がないです


鎌倉文学館で特別展「鎌倉時代を読む 古典から現代作品まで」が開催中!

鎌倉時代を舞台にした古今の文学作品の展覧会が、鎌倉文学館で開催中です。


特別展「鎌倉時代を読む 古典から現代作品まで」
鎌倉文学館

鎌倉文学館「鎌倉時代を読む 古典から現代作品まで」1
鎌倉文学館「鎌倉時代を読む 古典から現代作品まで」2

12世紀末、源頼朝が鎌倉に幕府を開き、武士が政治の実権を担う鎌倉時代が幕を開けました。
それからおよそ150年、激動の時代は、歴史書や随筆、和歌、日記、そして軍記物語などに著わされました。
後には、それをもとに能や歌舞伎が書かれ、明治以降、現代まで多くの作品にこの時代が描かれてきました。
本展では、鎌倉時代を「吾妻鏡」「太平記」などの古典から芥川龍之介、太宰治、永井路子らの近現代の作品でたどります。


開催期間: 2018年10月1日(月)~12月9日(日)


「鎌倉時代を作品でたどる」という企画なので、展示はまず、1180年(治承4年)4月に後白河天皇の第三皇子の以仁王が、源頼朝ら各地の源氏に平家追討の令旨を出したことを記した「吾妻鏡」の冒頭の紹介から始まるのだそう!

そのほか、「方丈記」「明月記」「玉葉」、源実朝の「金槐和歌集」の版本、太宰治の小説「右大臣実朝」(直筆?)原稿、永井路子「北条政子」直筆原稿など約80点も展示されています。

南北朝というか鎌倉末期に関しては、北条高時が酔って天狗と舞い唄うシーンが描かれた「絵入太平記」があるそうですよ

(吉川英治は残念ながら「私本太平記」ではなく「新・平家物語」のほうの展示らしいです)


鎌倉文学館ではこの特別展に合わせて古典講座が開催されます。
リーフレット画像かこちら「次回イベントの予告」の下の方(真ん中あたり)の“特別展「鎌倉時代を読む 古典から現代作品まで」 展覧会関連イベント”をご覧ください。
申し込み締め切りが11月6日(火)と8日(木)と迫っていますのでお気を付け下さいね。


鎌倉文学館
鎌倉文子@鎌倉文学館(@kamakura_bunko1)さん Twitterよりお借りしました。


あーもう、鎌倉に住みたい~~~~!!!



東京新聞 TOKYO Webの記事も参考にしました)


大塔宮護良親王について書いた当ブログ記事のまとめのようなもの

私がやっているこのFC2ブログなんですが、カテゴリが各記事に一つしか割り当てられなくて(それはほとんどのブログがそうなんですけど)、複数当てはまる場合はちょっと困ってしまう。

そんな中でも大塔宮護良親王についてけっこう力を入れて書いた記事が宮カテゴリに入っていないことに気付いたので(今頃?)、このカテゴリになんとか入れたいと、今日はまとめのようなものを作成(?)しました。

力が入っている記事も、ほんの少し宮の情報が入っているという記事も両方です。
よろしければ宮ファンの皆さまに見ていただけたらと思います。


 ****************


懸賞首 (2014年4月8日)

大河「太平記」#20 足利決起 (2014年4月27日)

太平記巻第十二 兵部卿親王流罪の事付けたり驪姫が事 (2014年10月29日)

太平記巻第五 大塔宮熊野落ちの事 その2 (2015年2月14日)
 ※宮ファンには一番おすすめかもしれません

淵辺義博についての記事 (2015年6月16日)

太田市市章は大中黒 (2015年9月29日)

河内幻視行 楠木正成シリーズ (2015年11月9日)

今東光×奈良本辰也対談 1 (2015年12月23日)

亀田俊和先生特別寄稿「護良親王と吉野」 (2017年7月12日)

大塔宮と楠木正成 『増鏡』より (2017年9月9日)
 ※こちらも宮ファンである私が萌え&興奮しております

吉野町歴史講演会「護良親王と元弘の乱」 (2017年11月1日)
 ※過去の講座ですが、記録としてここに置いておきます。

濃密吉野&京都旅 吉野編(2日目)その1 (2017年12月14日)

太刀を洗う菊池武光@大刀洗町ホームページ (2018年9月30日)



思ったよりもたくさんあってびっくり

この先も、宮に関係している話題で宮カテゴリに入れない記事をこちらに追加しようと思っています


大塔宮護良親王の願文
↑「人物探訪 日本の歴史4 争乱の群雄」(暁教育図書株式会社)より

今週末、鎌倉円覚寺・建長寺にて宝物風入れです

毎年文化の日をからめた3日間、鎌倉の円覚寺と建長寺にて宝物の風入れが行われます。
風入れとは虫干しのこと。
貴重な文化財が、ガラスケースなしに間近に見ることができます!!
南北朝時代のものも多数ありますよ

今年は3日(土・祝)~5日(月)です!


【円覚寺】
収蔵している数百点の文化財の虫干しを兼ねて展示する毎年恒例の行事です。
またこの期間に合わせて「国宝 舎利殿特別公開」を致します。普段は立ち入りの許されない「正続院」の門の内に入り、「国宝 舎利殿」の正面近くまでお参りすることができます。


円覚寺公式サイトはこちら


【建長寺】
建長寺創建以来760年にわたる国宝、重要文化財など宝物150点を一年に一度、一堂に展示する特別展。
3日(土・祝)には、法話大会があります。
拝観料とは別に特別拝観料(大人500円、小・中学生300円)が必要です。


建長寺公式ページはこちら


鎌倉市役所ホームページも参考にしました)


円覚寺・建長寺とも、目録が用意されているそうです。
建長寺の方の目録は発見しました。→こちら(PDF・建長寺ツイッターより)

円覚寺・建長寺風入れ目録
(画像は「楽しい鎌倉」よりお借りしました)


以下は過去に行かれた方のブログ等より仕入れた情報です


円覚寺
・南北朝関連の古文書、関東御教書、北条高時、足利尊氏、足利義満、足利持氏、後醍醐天皇など
・足利義満の書
・夢窓国師像(重文)
・お茶席があり、お坊さんが給仕してくれるとのこと きゃー

あと以前、たしか夢窓疎石の袈裟もあったと何かで見た覚えがあります。


建長寺
・目録にもあるけど尊氏、持氏の古文書、尊氏像
・南北朝ではないけれど、国宝の蘭渓道隆像!
・売店にてけんちん汁が食べられる

それと、上の方の説明にもある法話のチラシ(?)画像が建長寺ツイッターにありました↓
建長寺法話スペシャル(20181103)



円覚寺と建長寺と同時期に開催なのと徒歩15分くらいの距離なのとで、両方行かれる方が多いみたいですね。
私も行ったらぜひそうしたいです


南朝の拠点の一つ・天川にて石碑建立

今日は南朝とゆかりの深い奈良県天川村に関するニュースをご紹介します。


天川郷士 遺徳しのぶ石碑
読売新聞 2018年10月24日

◇子孫ら除幕 後醍醐天皇即位700年

14世紀に京都の北朝に対抗した南朝の拠点の一つだったとされる天川村川合の天水分(あめのみくまり)神社に南朝を支えた天川郷士の子孫らが、祖先の遺徳をしのぶ石碑を建て23日、除幕した。

吉野に逃れて南朝を樹立した後醍醐天皇の即位から今年で700年となったのを記念した。天川郷士らは、南朝第2代の後村上天皇から「南朝旧臣位衆(なんちょうきゅうしんいしゅう)傳御(おとな)」の称号を受け、南朝がなくなった後も、子孫らが後醍醐天皇らをまつる朝拝式を毎年開くなどして称号を伝えてきた。

現在は28家が属しており、「祖先の足跡を未来に継承しよう」と、御所があった「河合寺(かごうじ)跡」とされる神社に石碑を建てることに。幅1・8メートルの花こう岩に「南朝旧臣位衆傳御の碑」「南朝四代の天皇に忠義を尽くした」などと記し、菊の紋も飾った。

この日は、現在は北海道に住む傳御も含め約30人が出席。代表にあたる「傳相(ふそう)」を務める天川村北角(きとずみ)の堀口博さん(83)らが除幕し、神事が執り行われた。堀口さんは「観光客や村民にも村の歴史を知ってもらうきっかけになれば」と喜んだ。


天川村 南朝旧臣位衆傳御の碑(産経新聞・ライブドアニュース)
除幕された南朝旧臣位衆傳御の碑=天川村(画像はライブドアニュースより)



南朝の歴史にまだ疎いのでよく知らないのですが、天川村にある天河神社には南朝の行宮があったそうですね。
河合寺というお寺も行宮だったんだ。

そしてこれまで朝拝式のことを何度かこのブログに書いていますが、今回の新聞記事に天川郷士の方たちによって行われているとあり、ちょっと驚きました。
川上村の郷士の方たちだと思っていたのですが、どっちなんだろう、というか、両者は同じもの??

朝拝式は川上村で行われ、天川とは離れているので(隣接はしているけど広いし山深いから)、自分の中では別にして考えてしまっていましたが、まあ、これからまたわかってゆくことでしょう

奈良県
川上村、そして同じく隣接する上北山村にも後南朝の史跡が複数あります。



歴史は過去の過ぎ去ったことなんかじゃないですね、本当に。
何百年も前のことが、ずっと生きています。
そしてそう感じることができるのも、子孫の方たちの想いゆえ、とも思うんです。
これからも絶えることのないことを願います…そして、私もそれを伝え続けていきたい。


赤橋守時と洲崎古戦場跡にまつわること

新田義貞の鎌倉攻めで巨福呂坂を死守し、自害した赤橋守時が紹介された記事を発見しました(涙)


鎌倉幕府滅亡のとき、なんと65回もの突撃を繰り返す激戦だった
Japaaan 2018/08/15


いい記事ですね


最後の方に、洲崎古戦場跡地を含む地域の再開発について書かれていますが、ずいぶん前にこのブログでも取り上げたことがありました。

過去記事「鎌倉市深沢地区の再開発
(2015年8月1日)

会ポスター
天国では仲良くお話しているんですね(号泣)


この記事を書いた時点では、地元有志の方々による「洲崎陣出(すざきじんで)の杜(もり)をつくる会」が発足、Japaaanの記事にもあった「陣出の泣塔」を中心とした大規模公園の建設や、洲崎古戦場ということを前面に打ち出した計画ほかを要望しているということでした。

Japaaanの記事を読むと、泣塔とその周辺は保存されることに決定したようですね。
「洲崎陣出の杜」などそのほかの事はどうなったか気になりますが、ひとまずは安心です


(鎌倉市ホームページの「深沢地域周辺地区のまちづくり」をざっと見てみましたが、まだまだ先は長そうですね。
洲崎陣出の杜をつくる会のサイトがなくなった?みたいなのと、ツイッターも更新が2015年12月で途切れているのでその後の詳細がわからず、ちょっと心配(?)はありますが…)



そして陣出の泣塔にまつわる不思議な話……実に興味深いです。
↓ブログの過去記事内にも貼っていますが、よろしければ泣塔についてのレポをどうぞ。

たたりを恐れられているらしい「泣塔」ってまだあるの?
はまれぽ.com


できればお掃除に参加させていただきたいと思いました。
守時兄さんほか、この合戦で亡くなった人たちの冥福を祈りつつ…


明日の歴史秘話ヒストリアは足利義満!!

明日24日(水)の歴史秘話ヒストリアは足利義満が取り上げられます!


歴史秘話ヒストリア「黄金の室町時代 最新研究 足利義満」
NHK総合

歴史秘話ヒストリア 足利義満

【番組詳細】
新書『応仁の乱』で話題の室町時代は『動乱の時代』として知られている。
しかし、壮麗な『金閣』が造られ、能や狂言で知られる『北山文化』が花開いたのもこの時代。今回の主人公・3代将軍足利義満は、50年以上対立していた南北朝を合一し、戦乱のない『室町の黄金時代』を築いた。
その過程で、武家と公家の頂点に君臨した義満は天皇の位を狙っていたと言われてきたが、最新研究でそれが覆されつつある。
義満の真の狙いとは?

【解説】歴史学者 呉座勇一
【出演】京都大学文学部非常勤講師 亀田俊和
【キャスター】井上あさひ

【放送予定】10/24 (水) 22:25 ~ 23:10 (45分)




義満期がなかなか勉強できなくて(たどり着けない)、こういう時に少しでも知識を得ようと思います


*CommentList

「兵主大社展-琵琶湖を渡って来た神さま-」開催中です

滋賀県野洲市にある兵主(ひょうず)大社の遷座1300年を記念して、特別展が開催中です。
足利尊氏奉納と思われる南北朝時代の甲冑なども展示されているようです


開館30周年特別展 「遷座1300年記念 兵主大社展-琵琶湖を渡って来た神さま-」
野洲市歴史民俗博物館(銅鐸博物館)


銅鐸博物館「兵主大社展-琵琶湖を渡って来た神さま-」1
銅鐸博物館「兵主大社展-琵琶湖を渡って来た神さま-」2

兵主大社を紹介する初めての展示会!

滋賀県野洲市五条に鎮座する兵主大社は、祭神を八千矛神(やちほこのかみ/別名:大国主命おおくにぬしのみこと・大己貴命おおなむちのみこと)とし、「兵主郷」と呼ばれる同社を中心とする18の集落の連合体の鎮守社として篤く信仰されています。

その由来は、慶長9年(1604)の「兵主大明神縁起」や伝承によれば、今から1300年前の養老2年(718)10月上旬に、白い蛇の姿をした兵主の神(本地仏は不動明王)が大きな亀の甲にのって琵琶湖を渡り、八ツ崎(やつがさき/現在の野洲市吉川)においでになられたとあります。
また、鹿の群れが兵主の神をお守りし、その後、五条の地(野洲市五条)にとどまられたとされています。
この伝承にちなみ、現在、毎年12月に神さまをお迎えする神事として行われているのが、今年、日本遺産に登録された「八ヶ崎神事」です。
また、亀と鹿は、兵主大社の神さまのお使いとして祀られています。

同社は、古くは平安時代の『延喜式』の神名帳(じんみょうちょう)に式内社の名神(みょうじん)大社として確認できます。
また、1ヵ月30日を毎日交替の当番で『法華経』を守護する30柱の神、三十番神(さんじゅうばんしん)の28日目の守護神としても信仰されています。

本展は、平成30年(2018)に当館が開館30周年を迎えたこと、また同社が遷座1300年を迎えることを記念して開催するもので、兵主大社に伝来した至宝を紹介します。


開催日時:
平成30年10月20日(土曜日)~12月2日(日曜日)
 (前期展示)10月20日(土曜日)~11月11日(日曜日)
 (後期展示)11月13日(火曜日)~12月2日(日曜日)
※展示資料の一部は、会期中に替わります。


南北朝に関する主な展示品:
●前期展示
・白絹包腹巻 南北朝時代 1具 (兵主大社蔵)
(※以下は白絹包腹巻の附)
・鍍銀籠手金具 1隻
・鍍銀臑当 1双
・赤色威咽喉輪 1掛
・白生絹袷小袖 1領
・萌黄地白茶格子生絹袷小袖 1領

●後期展示
・太刀 南北朝時代~室町時代 1口 (兵主大社蔵)


野洲市ホームページより)


兵主大社、名前は聞いたことがあったような…という感じだったのですが、そんなに由緒の古い神社だったんですね。

中世には、「兵主」を「つわものぬし」と読むことより、武士の厚い信仰を得た。中でも源頼朝・足利尊氏による神宝の寄進・社殿造営があり、社宝として残されている。また、江戸時代には、徳川将軍家から社領の寄進を受け、厚い保護を受けた。
兵主大社 - Wikipedia

↑にあるように、足利尊氏が鳥居・楼門を寄進したとのことなんです!(残念ながら現在の楼門は戦国時代のもの)
尊氏は武具の奉納もしたらしく、今回展示される白絹包腹巻や刀剣はその一部かもしれません


兵部大社
兵主大社。(野洲市ホームページより)


この特別展を見学した人は、兵主大社の庭園(国名勝庭園指定)が拝観無料となります!
平安時代の後期~末期に造られた庭園で、約22000㎡もの広さなのだそうですよ。
詳しくはリンク先をご覧くださいね。
ちなみに銅鐸博物館と兵主大社とは直線で6キロくらい(?)離れています。


兵部大社庭園
兵主大社庭園。(滋賀文化のススメより)


展示会場の銅鐸博物館(正式名称は野洲市歴史民俗博物館)は「弥生の森歴史公園」の一角にあり、公園には竪穴住居や高床式倉庫などが復元されていたり、弥生文化の体験が出来たりするそう。

博物館にはこの近くで多数発見された銅鐸が展示されいるのですが、地図を見ると古墳が二つほどありますね。

一帯は古くから歴史のある場所だったんだということがよくわかります。


兵主大社庭園は、検索すると紅葉が美しい画像がたくさん出てきました。
これからちょうどいい季節ですね
歴史探訪と紅葉狩りにいかがでしょうか

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プロフィール

カオリ丸

Author:カオリ丸
下総国の住人。
南北朝初心者で、足利尊氏が好きです。
メールアドレス↓
alovet1305★あっと★gmail.com
(「★あっと★」を「@」に置き換えてくださいね)

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